茶の湯日記

石州流の祖、片桐石州 -茶人列伝-

片桐石州(かたぎりせきしゅう)一六〇五(慶長十)~一六七三(延宝元)

石州は、名は貞昌(さだまさ)、茶道石州流の創始者で大和(現奈良県)小泉藩二代藩主。石見守(いわみのかみ:石州)、法号は三寂宗関。片桐且元(かつもと)の弟貞隆の子とし摂津国(現大阪府)茨木に生まれる。父の遺領一万三千石を継ぎ、幕命により、京都知恩院の普請奉行を務め、土木行政・作事にあたりました。

茶の湯は、千道安(どうあん)を師とする桑山宗仙に学び利休茶の湯の研鑽に努めました。玉室宗珀・宗璠(ぎょくしつそうはく・そうばん)を師とし、師のために大徳寺高林庵(のち芳春院に合併)を開きました。船越永景とともに四代将軍家綱より御道具奉行を拝し、その際「石州三百カ条」を献じたといわれ、柳営茶道(幕府の元で行われてきた茶道のこと。武家茶道。)の手本・規則となりました。隠居所としては大和小泉に慈光院を建て宗璠を招いて開山としました。

石州は千利休の「一畳半」に茶道の極意を知り千宗旦とも交わったとされ「侘びの文」や茶会記なども知られています。遺墨も多く、また遺構には慈光院他、当麻寺(たいまでら)中之坊茶室があります。門弟に藤林宗源、鎮信流の祖、松浦鎮信(まつらしげのぶ)、怡溪宗悦(いけいそうえつ)らがいます。

石州花押

 

 

 

新旧問わず、書付ものからお稽古ものまで
お茶道具買取りしております。

関連記事

コメント

この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP