茶の湯日記

「動中」に美を捉えた茶人、古田織部 ー茶人列伝ー

古田織部(ふるたおりべ)

一五四三(天文十二)~一六一五(慶長二十)年

 

 

名は重然(しげなり)、佐介。生まれは美濃国(現:岐阜県)。織田信長に従い上洛し、山城(現京都府)・摂津(現:大阪北中部と兵庫南東部)の蔵入地(幕府の直轄地)の代官を務めました。そののち豊臣秀吉に仕えました。

古くから千利休と親交し、利休の堺蟄居(ちっきょ:家の中にとじこもって外出しないこと。)の際には細川三斎とともに淀で見送ったようです。

弟子に小堀遠州がおり、文禄の役の頃に弟子となったようです。秀吉の死後は伏見で茶の湯三昧の生活に入ったようで、徳川秀忠に召されて台子茶湯を伝授したことから将軍家茶道御師範と称されるようになりました。しかし、大阪夏の陣で陰謀を疑われて幽閉後自刃しました。

織部は、師である利休の「静中」「整調」の美に対して、伊賀焼「破袋水指」や織部焼「沓茶碗」など作意のある「動中」「不整調」の美「ヘウゲモノ(ひょうげもの)」を追求しました。武家の茶の湯にふさわしい茶室をもとめ、相伴席(しょうばんせき:客座とひと続きで襖を外せば座敷を広めて使うこともできる。)のある燕庵(えんあん)を好みました。

 

・織部焼香合

 

※参考資料:「茶湯人物ハンドブック」(淡交社編集局 編)

 

 

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