千道安(せんのどうあん)一五四六(天文十五)~一六〇七(慶長十二)
千利休の実子。先妻の子であり、義弟の少庵とは同い年でありました。号は「可休斎」「眠翁」。はじめは「紹安(じょうあん)」と称して利休・少庵とともに秀吉の茶頭となりました。利休の賜死後は京都を離れました。その後、帰京してからは「道安」と改姓しました。利休の堺の遺産はこの道安に譲られ家督も相続することになりました。道安には嫡子がおらず堺の千家は断絶してしまいました。しかしその茶の湯は桑山宗仙ら門弟から片桐石州に伝えられてのちの武家茶の湯の主流となっていたのでした。
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