布志名焼・雲善窯は松江市から宍道湖岸を玉造温泉へ向かい約四キロの国道沿いにあります。一七五六(宝暦六)年より製陶業を継続している窯になります。
土屋家沿革
・初代土屋善四郎芳方
松江城下横浜町、土器屋(かわらけや)善右衛門の子。一七五六(宝暦六)年、松江藩主より御給米扶持を賜り、名字帯刀御免、茶道支配坊主並を仰せつけられて、藩命により楽山焼御用を二十五年間勤め楽山焼五代となりました。初代権兵衛、二代加田半六、三・四同代、五代土屋善四郎と大いに名声をあげたようです。一七八〇(安永九)年、意宇群布志名村へ引っ越し焼方を教えるよう仰せつけられ、布志名村に居住し、御焼物御用教方を勤め厚遇されたそうです。一七八六(天明六)年、没。
・二代善四郎政芳
初代の子。一七八六(天明六)年、御茶碗焼を仰せつけられます。一八〇四(文化元)年、江戸詰めを仰せつけられ大崎の藩主別邸内に窯を築き茶器などを製作し良工を博したそうです。不昧公の愛護を受け「雲善」の号名と瓢印を拝領しました。印は代々これを使用することになりました。作品は巧妙で名工として賞美されたようです。一八二一(文政四)年、没。
・三代善六起徳
一八一七(文化十四)年より父である二代とともに御用を相勤め、父の死後家業を嗣ぎました。一八三五(天保六)年、御茶碗焼御用を相勤めました。一八五四(嘉永七)年、没。弟に楽山窯を嗣いだ二代住衛門(空斎)がいます。
・四代善六
父の死後家業を嗣ぎ、御茶碗焼御用を勤めました。明治維新の廃藩に当たり家禄を奉還し従前どおり明治九年ころまで製陶業に従事したようです。
・五代傳太郎
明治九年、家業を嗣ぎました。同年同業者と共同し若山陶器会社を組織して製陶の技術に精進し社頭に推され、博覧会などに出品、幾多の賞を受けられたようです。同十七年には会社は解散となり独立して製陶業に従事することになりました。同三十二年隠居し茶事生花を嗜みました。
・六代武次郎
明治三十二年製陶業を嗣ぎました。同三十八年、没。
・七代定好
六代の弟。明治三十八年製陶業を嗣ぎました。昭和四十三年、没。
・八代善四郎
昭和四年に家業を嗣ぎました。昭和六十二年、島根県知事より卓越技能者として表彰を受けました。平成三年、没。
・九代、善四郎
父のあとを嗣ぎ茶陶を中心に、不昧公好み・布志名色絵の優品を手掛けておられます。現在は子息の知久氏とともに布志名焼の灯を守っておられます。平成十八年、松江市手作り産業優良技能者の表彰を受けておられます。地元の来待石から精製する黄釉や、布志名青地(出雲青磁)、海鼠釉などを用いて温かみのある茶陶を製作。布志名焼の代表的絵柄の一つ「大根絵(六根清浄の意)」の茶碗も手掛けておられます。
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