萬古焼は三重県のやきものです。元文年間(一七三六~四一)に桑名の沼波五左衛門弄山(ぬなみござえもんろうざん)が、三重郡朝日町小向(おぶけ)に窯を築いたのがはじまりとされております。
天保二(一八三一)年に森有節とその弟千秋が一時中絶していた窯を同地に再興させました。有節は文化五(一八〇八)年、桑名の生まれ、通称は与五左衛門。後年号でもある有節を名としました。弟千秋は文化十三(一八一六)年の生まれ。名は与平で、号は陽楓軒といいました。
はじめは古万古風の赤絵や茶陶の写しものの再現をはかりました。「有節万古」の特色の一つに「粉彩盛り絵付」というものがあり、「腥臙脂釉(しょうえんじゆう)」(ピンク色)は、日本で有節が一番初めに工夫したものともいわれております。有節は慶応三(一八六七)年、国産陶器職取締役に命ぜられ、その後、明治年間に各博覧会などに出品。褒章も受け皇室お買上げの栄も受けました。明治十五(一八八二)年、没。印銘には「萬古」「日本有節」「萬古有節」など多くのものが確認されています。
当店では萬古焼の買取りをしております。
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