茶の湯日記

《買取作家》駒澤利斎・千家十職指物師

駒澤利斎(こまざわりさい)-千家十職駒沢家-

 

駒澤利斎(こまざわりさい)家は、代々木工芸で指物師の家系です。残念ながら現在に至るまで名跡は空席となっている。

初代 駒澤宗源:生没年不詳

通称、理右衛門。延宝年間(一六七三~一六八一)に指物を家業にしたと伝えられているようです。

二代 駒澤宗慶:一六二八(寛永五)~一六九三(元禄六)

通称、理右衛門。初代同様指物を業としました。

三代 駒澤長慶:?~一六八六(貞享三)

通称、利兵衛・理右衛門。二代・三代の代に千宗旦の指図を受けたとつたえられているようです。

四代 駒澤利斎:一六七三(延宝元)~一七四六(延享三)

通称、理右衛門。三代の婿養子。千家近くの現在地京都市上京区に移り、表千家六代覚々斎の知遇を受けて「利斎」の名を授かりました。

五代 利斎:一七〇七(宝永四)~一七六四(宝暦十四)

四代の子。この代から三千家に出入りするようになったようです。表千家七代如心斎より「リ斎」の書を与えられ、この「リ」を小判形の印として箱書きに使い始めて代々継承することに。茶道具の木材の種類や技法、寸法などを絵図と共に詳細に記した「寸法録」を残しました。

代々受け継がれてきた「リ」の小判印

六代 利斎:一七三九(元文四)~一八〇三(享和三)

通称、理右衛門。別号は春斎。五代の子。隠居後に塗物、主に蒔絵を手掛けて塗師として春斎の号を用いました。

七代 利斎(春斎):一七七〇(明和七)~一八五五(安政二)

呼称に茂兵衛があり、通称は信邦、号に少斎がある。六代の婿養子。指物の技量に優れて駒澤家中興の祖ともいわれております。表千家九代了々斎より「曲尺亭」の亭号や暖簾の真筆を授かりました。六代同様春斎の号で漆芸も手がけ、八代黒田正玄や十一代飛来一閑との合作なども残しています。

八代 利斎:一七九六(寛政八)~一八四六(弘化三)

幼名十次郎。六代の孫。襲名の六年後に逝去してしまいました。

九代 利斎:一八一九(文政二)~一八六二(文久二)

幼名十次郎、寿次郎。通称理右衛門。七代の子。詳細なし。

十代 利斎:一八四一(天保十二)~一八六八(慶応二)

幼名重次郎。八代の子。二十二歳で代を継ぐも二十六歳の若さで早世する。

十一代 利斎:一八五二(嘉永五)~一九〇二(明治三十五)

十代の早世後、職人であった岡本喜助が後見して家業を続け、喜助の子が十代の娘婿となり十一代を継ぎました。歴代中最も茶の湯に親しみがあったといわれております。

十二代 利斎:一八七六(明治九)~一八九六(明治二十九)

幼名利三郎。十一代の長男。十一代に先立って早世してしまいます。

十三代 利斎:一八八三(明治十六)~一九五二(昭和二十七)

幼名重次郎。十一代の次男。二十歳で家業を継ぎ明治・大正・昭和に渡り家業を守ってきました。

十四代 利斎:一九〇九(明治四十二)~一九七七(昭和五十二)

本名は駒澤浪江。十三代の妻。継承するも逝去後は空席となっており、十四代の甥が後見として家業を守り、現在はその子息が十五代の継承を目指し修業に励んでおられます。

 

※参考資料「茶道具の名工・作家名鑑ー淡交社編集局編」(淡交社)

 

 

当店では駒澤利斎の作品を買取りしております。

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