茶の湯日記

喫茶のはじまりー茶の湯の歴史

・「茶」という言葉とは!?

「茶(ちゃ)」を表現する言葉は世界でみても二つの系統しかないようです。それはcha(チャ)とtea(ティー)。そして、世界中に広まっていった茶のすべてのもとは中国にあります。

広東省から輸出された茶は日本、朝鮮、モンゴル、チベット、イラン、ギリシャ、ロシア、ポーランド、ポルトガルなどに渡り、「cha」系統の「チャ」「チャイ」などと発音されています。一方福建省から輸出された茶は、インドネシア、オランダ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどに渡り、「tea」系統の「テ」「ティー」などと発音されています。

イギリスは紅茶の国として一六〇〇年代には東洋の万能薬として葉茶を煮出して砂糖を入れる飲み方が流行しました。しかし上流階級の文化であったため東洋から輸入された葉茶はかなり高価なもので貴重品として扱われていました。

・茶のいろいろ

現在よく知られて愛飲されているお茶には、抹茶、煎茶、玉露、番茶、烏龍茶、紅茶などがあります。いずれも茶の木から摘まれた葉で作られているのはご存知でしょうか?

葉茶の処理法としては、覆い下(おおいした)という茶園を覆って徐々に日光を遮る方法で栽培されています。茶畑が黒く覆われている後景を目にすると思います。収穫された茶葉は発酵を止めるために蒸して緑色を保った抹茶や、玉露や、逆に発酵させた黒褐色の番茶や紅茶、またその中間にあたる烏龍茶などにそれぞれ製茶されていきます。

抹茶用の葉は立春から八十日ほどを経た頃に摘まれます(夏も近づく八十八夜♪)。戦国時代には覆い下での栽培法、葉を蒸して仕上げるなど、収穫後の処理の違いにおいて各種の茶が作られはじめていたようです。

・喫茶のはじまりはいつ!?

茶ノ木はインド東北部から中国南部が原産地と考えられています。喫茶の文化は遅くとも紀元前後には中国の雲南省付近で始まっていたといわれています。前漢末期から新建国以降ぐらいでしょうか!?日本に「茶」が伝わってきたのは、奈良・平安時代までには茶葉を蒸して固めた「団茶(だんちゃ)」の形で伝えらたようです。一方でこの頃の日本には「山茶(やまちゃ)」と呼ばれる自生の茶ノ木があったともいわれています。

団茶は必要な分を削って釜で煮出して、中国製の白磁青磁の茶碗や、自国の山茶碗で飲んでいたとされます。現在のような茶筅でかき混ぜて飲む方法は鎌倉時代の中頃とされ、茶葉をすり潰して抹茶にする形ができてきたといわれております。

これらは単なる飲料としての茶の飲み方であって、はっきりとした形の茶室や作法、懐石(料理)などは伴ってはいなかったようです。この形式が現れるのはご存知のように一五〇〇年代、室町時代の後半からになります。

このように葉茶は世界各地に伝わりましたが、わが国だけが茶を飲みものとしてだけでなく、文化を伴った「茶の湯(茶道)」を作り出していきました。

次回は中国ー唐・宋代の茶です。

中国、唐・宋代のお茶ー茶の湯の歴史

※参考文献「一日五分 茶の湯の歴史/谷端昭夫(淡交社)」※

 

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