玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)一五七二(元亀三)~一六四一(寛永十八)
臨済宗大徳寺派の僧で春屋宗園(しゅんおくそうえん)の甥。その春屋に参じ法を嗣ぎました。一六〇七(慶長十二)年には大徳寺第一四七世住持となり、塔頭(たっちゅう)聚光院に住しました。また加賀藩前田利常が芳春院(ほうしゅういん)を創建すると請じられてその開山となりました。紫衣(しえ)事件に連座し磐城国(現福島県)棚倉に流されますが三年後、赦免され京へ戻り、大徳寺の寛永大復興に協力しました。
茶の湯の嗜み深く、千宗旦・古田織部・小堀遠州・近衛信尋(のぶひろ:号応山)・松花堂昭乗などと交際し、片桐石州の師となり三叔宗関の号を授けました。 茶掛(茶の湯で掛ける掛軸)にふさわしい遺墨が残されています。
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