茶の湯日記

《買取作家》眞清水蔵六・京焼

眞清水蔵六(ましみずぞうろく)家

幕末期の天保十四(一八四三)年に初代が蔵六窯を開き、現在まで続く京焼の陶家。

 

初代蔵六:一八二二(文政五)~一八七七(明治十)年

山城国(現:京都府)久我村の庄屋の三男として生まれました。一八三四(天保五)年に、四代和気亀亭(わけきてい)に入門し、天保十四年に京都の五条坂にて開窯しました。この時に名を「蔵六」と改めました。また、性は妙法院宮の命によって「眞清水」となりました。裏千家十一代玄々斎に茶の湯を学び、一八六四(元治元)年には献茶用の器を作り「宗缶」の印を与えられました。

作品は色絵、金襴手、青磁、染付、高麗写しなどを作り名工としての呼び名は高い。

 

二代蔵六:一八六一(文久元)~一九三六(昭和十一)年

初代の長男として生まれました。国内の窯場を巡遊し、さらには中国や朝鮮に渡り調査・研究を重ねました。一九一七(大正六)年に山科西野山に開窯しました。その後一九三一(昭和六)年ころまで焼成を続けますが、洛西に移りました。

 

三代蔵六:一九〇五(明治三十八)~一九七一(昭和四十六)年

二代の四男。一九二〇(大正九)年、京都陶磁器講習所高等部にて学ぶ。一九三六(昭和十一)年に三代を襲名。一九四〇(昭和十五)年には、石黒宗麿とともに中国古陶磁を研究されました。作風は主に朝鮮三嶋・粉引・刷毛目を得意としました。

 

四代蔵六:一九三三(昭和八)年~

三代の長男として生まれました。一九五六(昭和三十一)年、関西美術院修了後に父である三代に師事し作陶を始めました。昭和四十六年に四代を襲名されました。代々の技法を継承しながら、創意ある展開を念頭に置かれ、青磁・粉引の作品を中心に手掛けてこられました。

 

五代蔵六(当代):一九六二(昭和三十七)~

四代の長男として生まれました。京都府立陶工高等技術専門校専攻科、京都市工業試験場を修了後、唐津の西岡小十に師事しました。一九九五(平成七)年、約十年間にわたる修行を終え、そこからさらに四代である父に師事されます。平成九年には再び唐津に戻り、割竹式登窯「玄々窯」を築窯されます。以来、京都と佐賀唐津を行き来しての作陶を続けておられます。平成二十五年に五代目を襲名されました。

五代作:唐津井戸盃

蔵六窯の作風を継承するとともに、唐津の土と唐津特有の割竹式登窯による焼成で、古来の名品をおもわせるような唐津陶を目指しておられます。また京都においても唐津の土を使用して、これまでの京唐津とは違った新しい作品も手掛けておられます。

五代陶印

五代箱書

 

 

当店では歴代眞清水蔵六の作品を買取りしております。

 

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