茶の湯日記

中国、唐・宋代のお茶ー茶の湯の歴史

茶ノ木の原産地はインド東北部・中国南部と考えられ、喫茶の風習は紀元前後には雲南省付近で始まったとされます。当初は「団茶」と呼ばれる茶葉を固めたものをほぐして煮出す飲み方であったようです。(前項「喫茶のはじまり」参照)

喫茶のはじまりー茶の湯の歴史

中国での喫茶の大流行は八世紀、の時代といわれており、都であった長安には喫茶店が繁盛し、寺院でも座禅の合間に茶が飲まれていたといわれています。薬用効果としては喉の渇きを癒し、覚醒作用(気分をすっきりさせる)が期待されていました。そしてこの唐代のお茶は「遣唐使」や留学僧たちによって日本、平安時代までには伝わったとされています。

 

・陸羽(?~八〇四)と茶経

 

「茶は南方の嘉木(かぼく)なり」で始まる「茶経」(七六十年頃)の著者に唐代の文人陸羽(りくう)という人がいます。この「茶経」は樹齢数百年の大茶樹の存在や、製茶用具、風炉、釜、炭斗(すみとり)、薬研(茶を粉状にする道具)、茶則(茶の量を計る道具)、柄杓、茶碗、茶巾などの点茶道具、また、水の品質、中国での茶の産地について詳細が書かれている世界初の茶書といわれています。

ここでの飲み方の要約は

①茶の葉を摘み、蒸し固めて団子状で保管する。
②必要分を削り薬研や茶臼で粉にする。
③釜の湯に入れて煮出す。
④杓ですくって天目茶碗などに入れて飲む。

このようにまだ抹茶のように茶葉を粉にして茶碗に入れ、湯を入れかき混ぜて飲む方法では無かったことが見受けられます。

 

・大観茶論と抹茶法のはじまり

 

唐代からの時代(九六〇~一二七九)になると、抹茶法が誕生したことが伝えられています。八代皇帝徽宗(きそう:一〇八二~一一三五)が記した「大観茶論(たいかんちゃろん)」(大観年代:一一〇七~一一一〇年成立)があります。

①茶に湯を少し加え軟膏(なんこう)状にし、さらに湯を加え注ぎ泡が立たないよう茶筅を軽く振る方法

②抹茶を入れた茶碗に一気に湯を入れ、茶筅でかき混ぜる方法

が書かれているようです。
さらに一番良いとされているのは、

③軟膏状に溶いた茶に湯を七回に分けて注ぎ、つど茶筅の振り方もかえて雲か霧のような細かな泡が立つようにするもの

とも書かれているようです。
このことから唐代とはかわって繊細な点茶法が取り入れられるようになっていったようです。そして茶筅が必要な道具として出てきたと考えられています。

中国南東岸の福建省建安では「北苑」と呼ばれる皇帝専用の茶園が営まれていたようです。管理には高級役人が任命され、栽培・製茶法に最新の注意が払われていたようです。

ちょうどこの頃に宋に留学していた日本の僧、栄西がいます。この栄西が日本に禅宗と抹茶法を伝えたといわれています。中国ではこの後、煎茶に変わっていったことから大変よいタイミングで栄西は抹茶をわが国に持って帰ってきてくれました。

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次回は第二章「平安時代の喫茶」です。

※参考文献「一日五分 茶の湯の歴史/谷端昭夫(淡交社)」※

 

当店では新旧・書付ものからお稽古もの問わず

お茶道具であればきちんと拝見、買取りさせていただきます。

 

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