平安期の初め頃までは中国文化の影響で文字は「漢字」が使われておりました。書風も中国風をとっていました。またこの時期の喫茶は「茶経」(陸羽)に書かれた唐代と同形であったことも中国文化の影響からであったと考えられています。
漢字による表現方法は本来の文法や表記以外に、日本風にアレンジされていた場合がありました。代表的な表記として「万葉仮名」があります。これは一つの発音を漢字一文字で表記します。例えば「ほととぎす」を万葉仮名で表記すると「保等登蓺須」(大伴家持:万葉集巻十八より)となっております。その使い方は様々でした。
・ひらがなの成立
西暦九百年頃には「ひらがな」が広まったといわれております。その一つが紀貫之の「土佐日記」(九百三十年頃)で「おとこもすなるにきといふものをおんなもしてみんとて」とひらがなで書いたことが知られています。のちにこれが「竹取物語」や「源氏物語」などの物語や和歌の成立に影響を与えたと考えらています。
・源氏物語に見る唐物
紫式部が書いた物語に「源氏物語」があります。第六帖の「末摘花(すえつむはな)」の食事の場面には「ひそく(秘色)やうのもろこし(唐土)もの」の食器が使われていたようで、これは中国は越州窯で焼かれた「青磁」ではないかと考えられております。
都の貴族たちは中国からの輸入物「唐物」を日常的に使っていたとされ、やきものだけではなく香木や書籍、瑠璃硝子、織物、唐紙なども遣唐使船や、のちの私貿易でも輸入が続きました。このことは唐物の尊重は盛んでありましたが、「かな」が成立し日本独自の文化が生まれ始めました時代でもありました。
次回は「和歌と歌銘」です。
※参考文献「一日五分 茶の湯の歴史/谷端昭夫(淡交社)」※
当店では新旧・書付ものからお稽古もの問わず
お茶道具であればきちんと拝見、買取りさせていただきます。
コメント